読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

黄金町エレジー

2007.1

その日の横浜は雪だった。

俺は、スーツにロングのダウンジャケットを着込んで、横浜のダークサイドと名高い黄金町・日の出町エリアの路上でビラを配っていた。

まだ松の内だったと思う。

正月に故郷へ帰る金子も無く、かといって特別親しくしてる女もいなかったので、アルバイトのシフトを元旦から連続で入れていたのだ。

「映画、いかがっすか。」

潰れかけた単館系の映画館でのバイト。時給850円。 あまりにも客が来ないために、映画のチラシを路上で配るという、映画館スタッフの仕事としてはあんまり考えられない、と言うか普通はやらない仕事を、新年のお祝いムードで溢れる伊勢佐木モール、その丁度裏通りでやっていた。

「明けましておめでとう」

声をかけてきたのは、タケさん(自称)。

隣のファッションヘルスで客引きをしている40代男性だ。 何せ人もほとんど通らない通りで、二人だけで呼び込みしているのだ。3ヶ月を過ぎる頃には、自然と顔なじみになっていた。

俺も新年の挨拶を返し、「全然、人通らないねえ」なんて話をしていた。

向こうはヘルス。こっちはシネマ。

小さい映画館だったが、サブカル女子やヴィレッジヴァンガードが好みそうな映画をやることがあって、女優がきて舞台挨拶なんてのもやった。そうすると、いつもは、地元のアル中が寝るためにしか来ない映画館に、行列ができることもあった。 そういう時、タケさんは隣の店先で、自分のことのように喜んでいた。

タケさんは自分のことはあまり話さなかったが、北陸の出身らしく諸々あって今の店で働いていると言っていた。

40代(自称)にしては禿げ上がった頭、人の良さそうな団子鼻、ヘルニア持ちで、立っているのが辛いと愚痴をこぼすタケさんが俺はなぜか好きだった。思えば、俺もその当時、信頼できる友も女も金も無く、自尊心と羞恥心だけが肥大化していて虎になりそうだった。二人とも孤独だったのかもしれない。

日が沈みかけてきた頃、雪が舞い始めた。 俺も北国の産まれだしタケさんも北陸の出だから、雪自体は大して感動もしないのだけど、その日はなぜか黄金町に舞う雪が非常に綺麗に見えた。 タケさんもそう思ったのか、「にいちゃん、雪だな」なんて笑っていた。 タケさんは前歯が殆ど無かった。シンナーだと思う。

そうして、閉館の時刻になり、本日の入場者と売り上げをエクセルに打ち込む。もちろん本日打ち込む数字は0だ。 館内の清掃も必要ないので、シャッターを閉め、俺は戸締りをして映画館を出た。

外に出ると、ビラを配っていた時よりも本格的に雪が降っていて寒かった。

ヘルスの前を通ると、タケさんはまだ立っていた。

「にいちゃん、帰りか?」

はい、お疲れ様です、と答えると、寒そうに肩を窄ませながら、タケさんはポケットから何かを取り出して

「はい、これ、お年玉。」

と言い、俺の手に何か握らせた。

見てみると、「お年玉キャンペーン!! 50分コース50%OFF!! アンド 指名料無料!」と書かれた、割引チケット。

「あ、ありがとうございます!タケさんも風邪ひかないように!」

よくわからないお礼を言い終えると、俺は酒を買い、自宅へ帰った。

タケさんの姿を見たのはそれが最後だった。

1ヶ月後、俺は割引チケットを握りしめ、黄金町へ向かった。

シフトには入っていないが、無料指名を入れるために。

50分5500円のアトラクションを終えた後、俺は指名の子に聞いた。タケさんのことを。

「客引きの?ああ歳いってる方?ハゲの?」

そう、その人がくれたお年玉なんだよ、今日のこれは。と思いながら、今、どうしているかを尋ねた。

「店の売り上げ金盗もうとしてんのがバレて、クビだって。バカだよねぇ。キャハハ。キャハ。」

女の顔も源氏名もオッパイの大きさも全く覚えていない。

ただ、何か無性に腹が立って、帰りにワンカップ大関を買い込み、飲みながらフラフラで自宅まで徒歩で帰ったことは覚えている。

あの日の横浜は雪だった。